二宮金次郎は天明7年(1787年)7月23日 相模国小田原領内の栢山(かやま)村で生まれました。
幼少の頃貧しい生活と父母を次々に亡くす不幸に見舞われました。しかし、勉学と農事に励み、菜種や捨苗の栽培の体験から「小を積んで大と為す」という信念の基、コツコツと努力し、やがては落ちぶれた二宮家を再興するに至りました。そのため勤倹力行の模範的人物として伝えられ、戦前にまきっを背負った少年時代の銅像が多くの学校に建てられました。
金次郎は、今までの経験を活かし「報徳仕法」という独自の方法を考案し、関東地方を中心に次々と封建時代の苦しい農民・農村の救済にあたり、70歳で生涯を閉じるまで封建制という社会の仕組みの中で最も効果的な方法で多くの貧しい農村の立て直しに成功したのです。
明治以降、二宮尊徳翁が神として崇められ、報徳二宮神社としてお祀りされるようになり、現在その数は20余社を有し、報徳社など思想を継承する団体が150社以上あると言われています。